こんにちは。タロットファン.jp 井上です。
ライダー・ウェイトタロットデッキ(Rider Waite Tarot deck)は、世界中で最も人気のあるタロットカードです。
タロットカードといえば、このライダー・ウェイト版の図柄をイメージする人が殆どでしょう。今やタロットカードの代名詞といえるほど、人気のあるカードだといえます。
今回は、現在の多種多様なタロットカードの中で、最も人気がある「ライダー・ウェイト版タロットカード」について、どんなカードのことを指すのか?その誕生した背景や特徴やなどを、掘り下げてお話していきます。
よく対のように語られる、マルセイユ版のタロットカードとの違いも、詳しく解るでしょうから、ぜひ最後までお付き合いください。
タロットカードの2人の共著者
まず、ライダー・ウェイト版のタロットカードの話を始める前に、タロットカード全般の歴史についてご存知でない方は、こちらの「【重要】タロットカード初心者に知って欲しい<種類、構成、歴史>」をご覧になってください。
この中には、タロットカードの発祥から、ライダー・ウェイト版タロットカードが誕生するまでの内容が、詳しく解説されています。
カード構成や名称も解りますから、そちらをご覧いただいた上で先に進んでください。
ライダー社によるウェイト版タロットカードとは
よく、ライダー版やウェイト版といわれますが、この呼び名の違いは意外と不明瞭で、正確に解る方は少ないのではないでしょうか。
この名前は本来、どちらも同じ1つのタロットカードを指しています。
それが、ライダー・ウェイトタロットデッキ(Rider Waite Tarot deck)と呼ばれる、1909年にイギリスのタロットカードメーカーである、ライダー社より発売されたタロットカードです。
生みの親は神秘学者のアーサー・エドワード・ウェイトで、カードの図柄を描いたのは、パメラ・コールマン・スミスです。
まずはライダー・ウェイト版のタロットカードを知る上で、この二人について、詳しく見ていきましょう。
神秘学者アーサー・エドワード・ウェイト
アーサー・エドワード・ウェイト(Arthur Edward Waite)は、1857年10月2日にアメリカ合衆国ニューヨーク、ブルックリンで生まれました。彼は幼いうちに父を失い、そのため母の母国であるイギリスに移住して育つこととなります。
1863年に母親がカトリックに改宗し、1874年に妹のフレデリカ・ウェイト(Frederika Waite)を亡くすと、妹の死から精神的な研究へと傾倒していきます。
1891年に34歳になると、魔術結社である「黄金の夜明け団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)」に加入します。
そして占いや秘教、西洋の神秘主義、薔薇十字協会、儀式の魔法、黒魔術、錬金術やカバラなど、神秘的な著書を数多く執筆し、文筆家として大成していきます。
それらの活動中の1909年に、同じ「黄金の夜明け団」に所属していたパメラ・コールマン・スミスとともに、ライダー・ウェイト版のタロットカードを作り上げるのです。
Wikipedia参照:Arthur Edward Waite(1921年撮影:63歳)
イラストレーターのパメラ・コールマン・スミス
パメラ・コールマン・スミス(Pamela Colman Smith)は、1878年2月16日に、ロンドン中心部のピムリコに生まれます。
15歳になるとニューヨークのブルックリンに移住し、芸術学校に入学して画家としての人生を歩み始めますが、結局その学校は卒業することが出来ませんでした。
その後イギリスに戻って、劇場デザイナーの仕事をしながら劇団と共に国中を放浪し、イラストレーターとしても同時に活動していきます。
そして1901年に、ロンドンに拠点を構えて多くの芸術家と交流を持つと、友人の紹介で「黄金の夜明け団」へと入会することになるです。
そこでウェイトと出会います。
Wikipedia参照:Pamela Colman Smith(1912年撮影:34歳)
ライダー・ウェイトタロットデッキの誕生
「黄金の夜明け団」でウェイトと出会ったパメラは、その後「黄金の夜明け団」が幾つかのグループに分裂する中でも、ウェイトと行動を共にします。
そして、そんな西洋神秘主義の影響を受けた二人が、共に1つのタロットデッキを作ることとなるのです。
カードの起源ソラ・ブスカ・タロットデッキ
これはあまり知られていませんが、パメラが描いたライダー・ウェイト版タロットには、そのデザインのもととなったタロットカードが存在します。
それは1491年に北イタリアで作られた、ソラ・ブスカ・タロットデッキ(Sola-Busca Tarot)です。
始まりは1907年です。北イタリアのミラノにあるブスカ家が、ソラ・ブスカ・タロットデッキの全ての白黒写真を、大英博物館の要請で提供します。その展示された写真を目にしたのがウェイトです。
ウェイトは自分にはイラストが描けなかったため、自分がタロットデッキを作る際には、パメラに描いてもらうことを決めていました。
ですから、彼女に大英博物館へ行って、ソラ・ブスカ・タロットを見てくるように伝えたのです。
画像引用:SOLA-BUSCA TAROT MAYER 1998
写真内部のカード左:ソラ・ブスカ・タロット、右:ライダー・ウェイトタロット
大アルカナカード構成の見直し(マルセイユ版との違い)
新しいタロットデッキの作製にあたり、ウェイトは自らが所属していた「黄金の夜明け団」のカバラ的な思想や占星術的な解釈を取り入れ、カードの構成を見直していきます。
それにより大アルカナカードは、それまで一般的だったマルセイユ版のタロットカードとは異なり、「力」と「正義」の順番が入れ替わりました。
さらには、キリスト教的な「Pope:法王」と「Papess:女性の法王」のカードは、秘儀を執り行う最高司祭を意味する「Hierophant:教皇」と「High Priestess:女教皇」へと改められます。
カードの持つ意味を、より神秘主義的な解釈へと変えていったのです。
こちらの「タロットカード大アルカナ22枚の意味と解釈のポイントを一覧で紹介」では、そんな美しい大アルカナカードを全てご覧いただけます。
画像引用:RWSタロットカード(女教皇、教皇)
パメラによるライダー・ウェイトデッキのデザイン
ウェイトは、大アルカナカードのデザインについて、18世紀のマルセイユ版を参考に、「黄金の夜明け団」の魔術的な要素を取り入れつつ、パメラにデザインの細部を指示しました。
そして小アルカナカードについては、それぞれのカードの意味を記載した一覧を渡して、その意味を含ませた図柄とするように、パメラにデザインを委ねたのです。
その結果、ソラ・ブスカ・タロットデッキなどを参考とした、芸術的な小アルカナカードが誕生することとなります。小アルカナのカードはパメラ自身のインスピレーションが、色濃く含まれた作品となったのです。
ウェイトとパメラの共同作業により、後世に残る印象的なデザインのウェイト版タロットデッキが、描き出されていきました。
パメラは78枚ものカードを、1909年の4月から描き始め6ヶ月間で仕上げることとなります。
画像引用:RWSタロットカード(小アルカナ)
小アルカカードの誕生と描かれた人たち
それまでのマルセイユ版のタロットカードには、簡素な数札としての小アルカナカードしかありませんでした。
ですがパメラが作製したタロットカードには、ウェイトが指示した意味をもとに、小アルカナにも丁寧な図柄が描かれたため、これがライダー・ウェイトタロットデッキの大きな特徴であり、魅力となったのです。
パメラが描いた小アルカナカードは、こちらの「タロットカード小アルカナの意味一覧<ワンド、コイン、ソ―ド、カップ>」で、すべてを見ることが出来ます。
そのカードの何枚かには、パメラの友人も描かれました。
棒の女王は、親友で共にイギリスを放浪した舞台女優「エレン・テリー」といわれ、世界のカードには、当時のイギリスの代表的舞台女優であり、同じ「黄金の夜明け団」に所属していた「フローレンス・ファー」が描かれたのです。
Wikipedia参照:Dame Ellen Alice Terry、RWSタロットカード(棒の女王)
ライダー・ウェイトタロットカードの発売
ここからはライダー・ウェイト版のタロットカードが発売されてからの流れと、その後の名称に関する解説をしていきましょう。
ライダー・ウェイト・タロットデッキの発売
ウェイトとパメラによって作り上げられたタロットカードは、「ライダー・ウェイト・タロットデッキ(Rider Waite Tarot deck)」として1909年にロンドンの出版社William Rider&Sonによって出版されます。
ウェイトはその後、カードの伝統や歴史、背景、図柄や記号の解釈などの記載した、「タロットの鍵(The Key to the Tarot)」という冊子を付けて改訂版を発行しました。
そして後には、カードの白黒の挿絵を入れて「タロットの絵の鍵(Pictorial Key to the Tarot)」へと改訂します。
ここから現在のタロットカードに影響を与える、ライダー・ウェイト版のタロットカードの潮流が始まるのです。
Wikipedia引用:Pictorial_Key_to_the_Tarot(タロットの絵の鍵)
世界中で愛される「RWS」タロットカード
その後、パメラが描いた図柄をもとに、ウェイト版とされるタロットカードが、世界中で次々と生み出されていきます。
ユニバーサルタロットカードなど、後に作り出されたウェイト版のタロットカードは、パメラが描いた図面に多少の変更や色を加えつつ、新しくデザインされたカードです。
そして現在のタロットカード研究家は、パメラのタロットカードのへの功績を認めて、ライダー・ウェイトタロットデッキを、「ウェイト=スミス・タロット」と呼び。
タロットに関わっている多くの人たちは、ライダー(Rider)、ウェイト(Waite)、スミス(Smith:パメラの姓)の頭文字を取って、RWSと呼ぶようになったのです。
画像引用:RWSタロットカード
ライダー版、ウェイト版の名称について
いかがでしたか?ここまでの歴史を見ることで、ライダー版とウェイト版の名称についても、理解を深めていただけたと思います。
一般的にウェイト版と呼ばれるものは、この「ウェイト=スミス・タロットデッキ」と同じ構成で作られたカードで、パメラの描いた絵を参考にしたものといえます。
そしてライダー版とは、当初ライダー社で発売された図柄に殆ど変更を加えない、伝統的な「ウェイト=スミス・タロットデッキ」といえるでしょう。
その伝統的な「ウェイト=スミス・タロットデッキ」を、タロットの研究者やデザイナーは、RWS(ライダー、ウェイト、スミス)タロットカードと読んでいるのです。
そのRWSの名称の中には、現在のタロットカードの一大潮流を作り上げた、ウェイトとパメラへの敬意も含まれているのでしょう。
ウェイトとパメラのその後の人生
最後に、そんなライダー・ウェイト版タロットカードを作り上げた、2人のその後の人生を見ていきましょう。
アーサー・エドワード・ウェイトのその後
ウェイトが所属していた「黄金の夜明け団」は、何度か分裂していましたが、彼は1914年にはそこから完全に去り、自らキリスト教神秘主義を掲げる「薔薇十字友愛団」 (Fellowship of the Rosy Cross) を結成します。
彼はその後も文筆家として精力的に活動し、彼が書いたいくつかの著書は、近年になっても出版されています。
代表的なものは『儀式魔術の書』 (Book of Ceremonial Magic)、『聖なるカバラ』 (The Holy Kabbalah)、『フリーメーソン新百科』 (New Encyclopedia of Freemasonry)、といわれる書物です。
そして1942年5月19日にロンドンで、84年間の生涯を閉じるのです。
Amazon参照:The Book of Ceremonial Magic(儀式魔術の書)
パメラ・コールマン・スミスのその後
1911年、ライダー・ウェイトタロットデッキの作製を終えたパメラは、カトリックへ改宗して、地域の教会活動へと参加するようになります。
その後、第一次大戦が終わると、叔父からの遺産を相続して、コーンウォールに移り住みました。その場所は、イギリスの芸術家たちが好んで住んでいた街だったのです。
結局、彼女は生涯結婚は一度もせずに、1951年9月18日に73歳でその生涯を終えます。
最終的に、パメラは画家として成功を収めることは出来ず、残された家財も借金の返済にと競売に掛けられました。
彼女の作品は従弟の舞台俳優ウィリアム・ジレットのコネチカット州にあるジレット城(現ジレット・キャッスル州立公園)で、収蔵された美術品として展示されています。
Wikipedia引用:ジレット・キャッスル州立公園(ジレット城)
後世へと語り継がれるRWSタロットカード
現在のウェイト版タロットカードの原型を作り上げたウェイトとパメラは、それぞれが人生の一時を、タロットカードの作製で協力し合い、そして別々の道へと歩んでいきました。
二人への敬意をこめて
妹の死を切っ掛けに、神秘魔術に傾倒し、数多くの書物を世に送り出したウェイトの影響は、今もなおこの世界に残っています。
逆に、純粋に一生涯を画家として生きようとしたパメラの人生は、脚光を浴びることなく終わりを告げ、死後にウェイト=スミスタロットデッキとして、高い評価を得ています。
このタロットカードは、今後も二人の一途な思いが込められた象徴として、後世に伝えられていくのかも知れません。
私たちもそんな二人への敬意をこめて、ライダー・ウェイト版のタロットカードを手にしたいものです。
今回の記事は日本語版及び、英語版WikipediaのRider-Waite tarot deckの情報をもとに、SOLA-BUSCA TAROT MAYER 1998などのサイトを参考に記載しています。